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大政奉還と王政復古の大号令の違いとは? 簡単にわかりやすく元塾講師が解説!

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大政奉還王政復古の大号令のちがいについて、かんたんにわかりやすく元塾講師が解説していきます!

 

教科書や参考書などの解説を読んでみると、

大政奉還は「将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返上した

王政復古の大号令は「天皇中心の新政府樹立を目指した

などと書かれています。

 

すると、「え?結局、将軍から天皇に政権がもどることでしょ?同じようなことじゃん!

と思うかもしれません。

しかし、実際は全く別のものなのです。

 

 

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大政奉還とは?

朝廷から政権を預かっていた徳川将軍

大政奉還について解説する前に、そもそも江戸時代の徳川将軍について理解しておきましょう。

1603年に、徳川家康が朝廷より征夷大将軍に任命されました。

これは、「徳川家に日本の政治をお任せします」ということでした。

つまり、徳川家康は、朝廷から政権を預かって江戸幕府を開いたのです。

 

倒される前に政権を返してしまおう!

しかし、15代将軍・徳川慶喜が将軍になったころには、

薩摩藩長州藩などが、徳川幕府を倒そうとしていました

 

そこで、徳川慶喜は、

倒される前に政権を朝廷に返してしまえば、徳川家は助かる!

と考え、「大政奉還」を行ったのです。

 

しかし、徳川慶喜は政治の中心にいようとたくらんでいた!

 

そうやって「大政奉還」によって政権を朝廷に返してしまった徳川慶喜ですが、

実はある計画を考えていました。

 

そのころ、日本では「日本中の代表者たちが話し合って政治を行おう!

という動きが出ていました。

今では当たり前のことですが、江戸時代では将軍や大名など一部の偉い人たちが自分達だけで政治を行っていました。

 

徳川慶喜は、そんな「話し合いの政治」のリーダーになろうとたくらんでいたのです。

 

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王政復古の大号令とは

徳川慶喜がジャマだと考える薩摩藩と長州藩

そうやって、徳川慶喜は、政権を朝廷に返したにもかかわらず、

結局は日本の政治の中心に居座り続けようとしました。

 

それだとまずいと思ったのが、徳川幕府を倒したいと考えていた薩摩藩長州藩

自分達の手で新しい政府を作ろうとしていたのに、

徳川慶喜がリーダーになってしまったら、

自分達の思うように政治を行えないと考えたのです。

つまり、徳川慶喜がジャマだったのです。

 

幕府の廃止と新政府の樹立を宣言した「王政復古の大号令」

 

そこで、徳川慶喜が新しい政治にかかわってこないように、

薩摩藩の西郷隆盛などは、朝廷にお願いして

江戸幕府は廃止します!

新政府を樹立します!

などを宣言してもらいました。

これが、「王政復古の大号令」です。

 

このことによって、

徳川慶喜は完全に新政府に入り込むことができなくなってしまいました。

 

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まとめ

 

徳川慶喜は、幕府を倒される前「大政奉還」政権を朝廷に返した

しかし、徳川慶喜は、政治の中心に居座るつもりだった

それをジャマだと思った薩摩藩長州藩

「王政復古の大号令」を出すことによって、

徳川慶喜を追い出した

 

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